猫を起こさないように
日: <span>2010年11月12日</span>
日: 2010年11月12日

よい大人のツイッター講座その2

 (広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、ごぶさた。みんなをより良いツイートに導く当ツイッター講座の伝道師、トゥレットだ。まだ君はこんなふうに考えているのかい? 「+100のリツイートなんて、夢物語さ」「結局、ハイスクールでの人気者ばかりフォローされるんじゃないの?」「カレッジでは話相手もおらず毎日便所飯なのに、陽気なツイーティングなんて無理だよ!」 大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ずリツイートされるし、君は必ず誰かにフォローされる! 繰り返すけど、このメソッドは米国でもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証済みなんだ! それじゃ、さっそく今日のテキストを見ていこうか。(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。表れる文字列)

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 フーム、野暮ったい。こいつは野暮ったいね。寝たきりのグランマも羞恥に跳ね起きる野暮ったさだ! でもその原因を探る前に、まずは着想のティップスから見ていこう。簡単さ、誰にでもできる! アートってのは、天才が0から1にした場所を、その他の有象無象がよってたかって10とか100とかにした結果、裾野を広げてしまったひとつの山に例えることができると思う。天才の着想よりも、凡人の剽窃の方が圧倒的に多い世界だ。なに、言いたいことがわからないって? このパンプキンヘッドめ! つまり、エレメンタリースクールの頃に君が感動したフィクションのセリフから丸々パクっちゃえってことさ。簡単だよ、誰にでもできる! ひとつだけコツがある。原典を確認しないで、記憶だけで書くこと。そこに生じる不正確さが、実は一般にオリジナリティと呼ばれるものなんだ。簡単だろ? なに、そんなのを本当のクリエイティブと呼びたくないだって? このユーズド・ナプキンめ! だから君は一行のツイートも書けないままただ引きこもって、フォロワーはいつまでたっても一桁なんじゃないか! ツイッターはオフィスとは違う。真面目さや誠実さが評価される場所じゃないんだ。それに、君がいるのはインターネットだろ? ここは情報の出どころがすごく曖昧なんだ。天才の着想か凡人の剽窃かなんて、そもそも天才本人以外の誰にもわかりゃしないんだよ! 本来、すべての情報が持つはずの時間というタグさえ、ここでは混乱してる。突然トゥー・ディケイズも前のフィクションが“発見”されたりするのがいい例さ。ブログあたりから堂々と孫引きしちまえ! どっちが先かなんて絶対にわかりゃしないんだ、簡単だろ?
 さあ、着想のティップスはこのくらいにして、次に野暮ったさの原因を順に取り除いていこう。まず二文目だけど、「を失い」と「を失って」が表現として重複しているね。シソーラスを持ち出すまでもなく、同文中の同一表現、これはご法度だ。後者を「が消えて」に変えちまおう。

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 ホラ、少し良くなった。簡単だろ? そして「例え」だけど、これはツイート初心者が陥りやすいミスだね。伝えたい気持ちが先行するあまり、ついつい強調しすぎてしまうという悪い見本だ。それにね、どの命も必ず消える。「例え」はその事実を否定し、書き手の持つ生への傲慢さと敬意の無さを図らずも表してしまっているんだ。これは無色な「そして」へ変えちまおう。

 『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、この命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』

 うん、グッと謙虚な印象になった! 簡単だろ? フーム、だいぶ洗練されてきたけど、まだ改善の余地があるね。よし、今日は少しだけレベルを上げて、中級者向けのツイート技術へと踏み込んでみようか。語尾の「だろう」は未来を表しているんだけど、ズバリ、こいつが二文目を野暮ったくし、その広がりを阻害している元凶なんだ。イングリッシュでもそうだけど、現在形は過去と現在と未来をひとつにつないだ偏在性を含意するんだ。だから、歴史に通底する何かの真理を読み手に訴えたいときは、現在形を使うとグッと効果的になる。「だろう」をとって、ついでに「私が」もとっちまおう。

 『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それでいいじゃないか』

 ホラ、すごい効果だろ? 小さな部屋の壁が静かに崩れ、無限の地平が四方へシーンと広がった感じだ。感嘆の一言に尽きるね。なに、「私が」を残した方が文意がすっきりしませんか、だって? おいおい、ぼくの話のどこを聞いてたんだよ! 君が話してるのはジャパニーズだろ! 主語の不在は曖昧さではなくて、むしろ全体への回帰や万物の包括を表現できる利点だろ? これは世界との合一を体現する素晴らしい言語的特性じゃないか! それとも君は、イングリッシュ至上の極左勢力なのかよ! 簡単だろ! 主語を取り除くことで「この命」へさらなる普遍性を付与できるし、何より「止まることなく流れ続けるタイムライン」を人類の営々たる継続とオーバーラップして読ませないとダメだろ! 主語が残ってたらそうは読めないだろ! いい加減にしてくれよ! 簡単なことだろ!
 じゃあ、この素晴らしいツイートを早速ツイーティング……よし、よし。ようやくわかってきたようだね。そう、君が持つ唯一にして無二のリソース、時間を最大限に生かさなくちゃどうしようもない。このツイートにはまだ良くなる余地がある。その通り、三文目だ。「それで」の後に読点を入れよう。この読点は話し手のブレスといたわり、そしてためらいを表現している。なぜ、いたわるのにためらうんだろう? それは、愛しているからに他ならない。真実はいつもシンプルだ。簡単だろ?
 では、完成したツイートを見てみよう。こんな感じだ。

 『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、そしてこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それで、いいじゃないか。』

 ……フーム、すぐ耳元で慈愛に満ちた少女の吐息さえ聞こえるようだ。それは自分の言葉が有効ではない悲しさをまで含んでいる。このツイートはきっと+100のリツイートを受け、君は軽薄なフォロー返しなどではない、真のフォロワーたちを得るに違いない。今回もただ手順に従うだけで、すばらしいツイートを完成することができた。な、いつも通り簡単だったろ?
 さて、最後にひとつ残念なお知らせがある。長らくみんなのご愛顧を得てきた「トゥレットのツイッター講座」だけど、実は今回で打ち切りが決まってしまった。わかってる。みんなと同じく、ぼくもガックリきてる。だって、まだぼくたちは上級ツイート技術へ進んでいないんだからね。もしみんながまたぼくに会いたいと思うなら、番組公式ツイッターの“@kotorigeika”へ嘆願のツイートを送ってくれ。もしかするとだけど、上層部が考えを変えてくれるかもしれない。まあ、望み薄かな。(腕時計を見て)おっと、ついにお別れの時間が来ちまったようだ。それじゃ、またいつか会える日まで、ソー・ロング! バイバーイ!(にこやかに手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)

おわり(制作・著作 NWO)